コードギアス 亡国のアキト
見てきた。
某氏がわりと詳しく語ってくれているので、あまり付け加えることはないのだけど。
あと、個人的にはエリア88オマージュ的な風景が目についたかなー、とかそれぐらいかしら。後半の舞台はパリ、イレブンによる外人部隊、といった外枠の設定もさることながら、主人公のアキトがシン・カザマとローラン・ボッシュを足して二で割ったような傭兵/戦争狂的なメンタルを持つポエマーであること、終盤でどうみても君たちフーバー・キッペンベルグですよね的な連中が現れること、あと付け加えればイレブン三人組の一芸一殺な感じがなんとなくエリ8ボッシュ編の傭兵連中ぽいこと――みたいな、まあその程度のことではあるのだけど。
あとはなんじゃろ……みんな言っているとおり、冒頭のバトルだけでお金を払う価値はあると思った。
アレクサンダーは這いよるドロッセルお嬢様めいてキモカワイイ。
全体的には来春の続編が待ち遠しい感じでしたね、ええ(小並感
もばます その3
フロントで頑張ってくれていた小春ちゃんがお嫁に行きました。
必要な方のもとで+に進化していただきたい。
原田ちゃん+が替わってリーダー就任。
で、これからの攻ベストメンバーを考えると、原田ちゃん+いおりん+唯+ドナキチ+に加えてあと一人だれか強レア+かSRが欲しいところ。
今のところは紗枝か杏かスポーツ祭加奈が入っているけど、それぞれ一長一短という感じ。他の候補は現状ではきらりんかディーラーズハートレナさんなのだけど、それなら素直に杏でええやん的な感もあり。どうせなら攻守アップ型をリーダーに据えたい。
守メンはまだ全然育ってないので、これからゆっくり育てるです。
クール勢を開拓しようかしら……
集合知あるいは集合痴
上記によって形成された場から成果物を得ようとするとき、得ようとする者はしばしば「まとめ」「要約」し「結論を導こうとする」。
しかし、集合知の場というのはそもそもまとめても要約しても意味が失われてしまうからこそ場として価値あるものたりえるという事実――あるいは状況を、成果物を性急に得ようとする者は見落としがちだ。それ故、彼らはしばしば成果を「盗み」「掠め取り」「歪め」「私利私欲に利用した」と非難される。その非難は正しいときも正しくないときもあるが、しかしはっきり正しくないと言えるのは上記のような前提を忘れてしまうこと、あるいは知っていながら居直ることだろう。
――カオスラウンジ騒動やら坂上某やらを見ていると、そんなことを思ったりしなくもない夕暮れ。
さておき。
そもそもそうした集合知の場というのは基本的に閉鎖的である、ということもある。上澄みだけ見ていると透明性の高い空間も、その下には純度の高い怨念であったり渇望であったりが隠れていることが多く、それ故彼らは新参者に厳しい。(それはどんなマニアックなコミュニティでも同じだとは思うが)
彼らが新参者に厳しいのは、上記のような果実だけを得ようとする者やコミュニティの発展ではなく殲滅のために利用する者、軽々しく扱ってサークル自体を期せず崩壊に導く者――そういった彼らにとっての異物をさんざん見てきたからでもある。
内部にも外部にも是非は問えない。そもそも、サブカルであれなんであれ、娯楽やらアートやらに正しさを要求すること自体が筋違いなのだ――しかし、さりとて成果物を利用しようとするときも正しい利用法など存在しない、とはならないだろう。
場に対する敬意とかリスペクトとか、そういう見えづらい、かたちの無いものでしか支払えないコストが存在する。コストを支払っていることを証明するには、まず自分もその一員であること、内部に居ることを示さねばならない。「外部から」何かを得ようと働きかける限り、その人はそのコミュニティに受け入れられることはない。
そんなに難しいことではない。
「わたしは、これこれこういうものが好きです。こういうものに興味があるので、だれかがまとめてくれたらいいなと思います」
ではなく。
「わたしは、これこれこういうものが好きです。これに関してはこうだと思うのですが、あなたはどう思いますか」
それだけでいい。
コストを払うというのは、自分の嗜好を、思考をさらけ出すこと。
人の思考が連鎖するとっかかりを与えること。
当然、反論も反発もあるだろう。
しかし、自分の意見を、立場を明らかにしない人に、だれが意見を、立場を表明したいと思うだろうか。
友人や知人なら、教師や先輩なら優しく、あるいは厳しく諭してくれるかもしれない。しかし、自分というものを知らない他人にとっては、その発言が全てなのだ。
だから、他人から何かを得たければ、まず言葉によってコストを払わねばならない。
坂上某やカオスラウンジの人間はその才能あるいは無能に応じたコストを払い、好評悪評含めそれなりの評価を得た。少なくとも、彼らは立場を、意見を明らかにした。成果物の質がどうあれ。
そういうことだと思う。
この記事は正しくもないし最適でもない。
ただの、老婆心の表明であり老害の感想にすぎない。
とある話に、コストを払ってもよいと感じた、それだけの話だ。
もばます
アイドルマスターシンデレラガールズ http://info.idolmaster.jp/social/
やるつもりはなかったんだけどなあ(白目
微課金でぼちぼちと進めております。
最初にいろいろ頂いた皆様にはいくら感謝してもしたりません……
特攻精神とリセット願望の幸福な結婚
あるいは悪魔合体としての魔法少女まどか☆マギカ。
去年のうちからいろんな人が思いついていたであろう与太ではあるのだが、なんとなく敢えてそのまんまの形で吐き出すのははばかられるような雰囲気があって気がついたらこんな時期になっていた。しかし、今になって振り返ってみると、当時作られた作品としてあまりにもタイムリーだったからこそここまで引っ張られるような存在になったのだろうなあ、と改めて思ったりもするので、まあいい頃合いなのかもしれない。
めだかボックス、≠編の結びにおける人吉善吉の叫びは、ある意味で上記のような結婚を尊いものとしもてはやす風潮に冷水を浴びせるものだったかもしれない(ただし、それは自らの作品世界をも卓袱台返しする危険を孕む行為でもあったが)。
ジャンヌ・ダルクはそりゃ魔女と呼ばれるよりオルレアンの聖女と呼ばれるほうが死後の世界では幸せに思ってるかもしれないが、でも結局生きてるときは最後火あぶりで終わったじゃないのさ生きてるときに救えよおかげでキャスターさん狂っちゃったじゃないさ、とかそんな感じ、と言えば伝わるだろうか――いや、この線はやめよう。
――例えば。
福島で今も働く原発作業員を生贄として賞賛しつつ哀れみ、しかし彼らへのサポートより政策無き原発停止、反原発を優先させしかもそれを正義と任じて恥じない輩。
世界のリセットを望みながら、自ら手を汚すことには耐えられず、故にだれかがそこに特攻してくれることを望んでやまない輩。
そういう人間は多くはないかもしれないが存在する。
彼らにとって、まどマギのようなお話はきっと美しい自己犠牲と救済の物語に見えるのだろう。クソである。
僕はまどマギは虚淵玄が関った作品の中では一番好きだが、それでも上記のようなものとして捉えることは到底出来ない。
かの作品における救済はあくまで限定的、個人的なものであり、世界を救ったりはしない。
それぞれが価値を見出す世界は、それぞれが闘争の果てに全うするしかない――そういう極めて人間的な、悪く言えば夢のない、よく言えば地に足のついた結論しか、虚淵玄の物語には用意されてはいない。
それを尊いものとするのは構わないと思う。僕だって魔法少女たちの生き様は賞賛に値すると感じる。だが、それは節電に不平を唱える同じ口で反原発を唱え、子供の被曝を恐れると述べる同じ口で避難者を差別するような連中を救うための物語ではない。であるにもかかわらず、彼らを救うために犠牲になってくれるような存在を求める心性をまどマギのような物語が引き受けているという状況がある。
たまたままどマギを例とする形になったが、こうした状況は別の作品にも見られる。震災より前に造られたものが同時代性により新たな受容のされかたで読まれる、というだけでなく、震災のあとは上記のような犠牲の精神を称揚するために組み立てられた物語も濫造されている――まあ、作品として優れていれば、それも構わないのだろう。ただそれだけしかない、というのは勘弁願いたいものだが。
まあ、そんな感じで。
拡散性MAの話(二回目)
いつの間にか無課金組から微課金組にクラスチェンジしていました。
シリアルコードのためだけに電撃アプリを買ってしまったりもしたけどだいじょうぶまだぼくはへいき……さておき、結果シグルーンさんが来たりスサノオさんが来たりしてそれなりに戦える陣容にはなったかなーと。
あとはシナリオ追加・合成パターンの追加やトレードの実装などをやってくれるとまだしばらくは遊べそうなのですが、はてさて。
現状、贔屓のカードはシグルーン、パンジー、ルー、シェリーコート、マリン、ティニア、リヴァイアサン、魔女のエレイン、ガネイダあたり。加えて今はグルアガッハを殴る関係上ターコイズ、エギ、パギー辺りも。スサノオも育ってくれば入るかもしれない。
そんな感じで、とりあえず。