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幸村の雪待日和

ゆきむらゆきまちのぶろぐ

めもらびりあ

 さて、なにからはじめようか。

 

 えーと、そうそう、二次創作の話だ。

 某まおゆうに関して、二次創作的な感性でつくられたものが一次創作の顔をして売られてるのが気に入らない――とかそんな話を前に呟いたのだけれど、そもそも二次創作とは何か、みたいなところに踏み込むととてもめんどくさいのであまりやりたくはなかった。しかし、一応説明を加えたほうが良さげなところについては加えておこうと思う。

 文脈。世界観。キャラクター。二次創作はそういったものを原作に頼る。委ねる事ができる。その世界観を自明とするものを――ファンを対象とするがゆえに、その辺の構築や説明をすっ飛ばすことができる。TRPGのベテラン向けリプレイにいちいちルールの説明が不要なように――クトゥルフ神話体系を知るものに旧支配者の説明が不要なように。それ故に、彼らは描きたいもの、こと、キャラクターにリソースを集中することができる。それ故に、原作に沿った流れであれ原作のカウンターとなる流れであれ、世界観の上で自由に描く事ができる。もととなる世界が盤石だからこそ、それを生かすも殺すも二次創作者の自由であり――それ故に、一から世界を構築するより低いリソースでもって一点集中のインパクトを生み出すことも可能となる。

 貝木泥舟がいうところの「偽物は本物であろうとする分、本物より本物だ」といった現象もこうした状況では起こりうる。それはまあ、とても健全で素晴らしいことだと思う――が、それはあくまで原作が存在することを自明とするが故、であって。

 まあ、某まおゆうが実際にどうか、ということとは余り関係がないヘイトである。気に入らないのは売り方の問題であって必ずしも作者や作品の問題ではないからだ。

 

 しかし、まあ。それでも思う。

 出来のいい二次創作は素晴らしい。僕だってそういうものは好きだし、出来の悪い二次創作なら自分だって書いてきたからそれを否定する気も毛頭ない。

 しかし、それでも。

 出来の悪い一から生み出した創作物は、それよりも素晴らしい――いや、素晴らしくあるべきなのだ、理想としては。

 

 完全に一から生み出した創作など現代に於いては無論存在しない。しかし、既存のものに自分なりのフィルターをかけて、自分の世界観を持つこと――それが一番めんどくさい最初の手間なのだが――それを省いたものがはびこるのはなんというかいろいろサボりすぎじゃねーのかなーとか思ったりはするのだ。

 当然ながら、自分の世界観にもあらかじめカウンターを当てておくことは必要だ。

 少なくともある程度客観的な視点を、鏡を用意しておかねば、作品世界は容易に願望充足に溢れた肥溜めになる。作者が聖人君子ならそれはそれで聖人らしい願望充足の場となるだろうが――そうではない例がしばしば見受けられるのは今更言うまでもないし、何より例え聖人君子でもやっぱり肥溜めは臭いだろう。

 肥溜めが増えたところで誰も――自分自身も幸せにはなれないのだから。

 

 理想――そう、どこまでも理想だ。絵に描いた餅だ。

 しかし、それでも。

 書けると思ううちは書くべきだ。

 それがいかに時代と、理想とかけ離れていようと。

 いかに人に酷評されようと、罵倒されようと――書きたいものがあるうちは。

 それがなくなればまあ死んでもいいんじゃないかなーとは思う。

 幸いなことに、今のところはまだ無くなりそうにないが。

 

 ――勿論、実際に完成するかどうかは別としてだけども(だめじゃん

 

 はずかしいことをかいてしまったが、このへんでおわる。